「推し」に捧げる

ずっと(でもないけど)思っていたのですが
レクイエムを歌うとき、どんな気持ちで歌えばいいんだろう?ということ。

外国の映画だったか?での一場面。
取調室の中で、容疑者が刑事にこう言われます。
「この聖書の上に手を置いて」
容疑者は言われたとおりに手を置き、
こらえきれず涙を流して、真実を話し始めるのです。
神の前で嘘はつけない、ということなのですね。
…やっぱり実感できないかも…

前回の演奏会でヘンデルの『メサイア』を歌いました。
第2部の中の
「He trusted in God that he would deliver him
 let him deliver him, if he delight in him. 」という合唱部分。
歌っていてふと、どうしてこんなに「勇ましい」んだろう?
と思ったのです。
ここは“受難”の部分ではなかったっけ??
そこで歌詞を見てみたところ
「神様に好かれているんでしょ、だったら
 神様に救ってもらえばいいじゃない?」(HP係意訳)
みたいな意味でした。
え?そんなこと言ってたんですね…なんだかびっくり…
でもこれは、もしかしたら
「推し」に対するファンの複雑な気持ちと同じなのでは?と
思いました。

役に立ちたいのに、自分は何もすることができない。
助けてもらえるのなら、何とかしてもらってよ!!という
自分が役立たずであることが申し訳ない、その気持ちが
逆に爆発している、というのか…

単なる私の印象なので(*’ω’*)違う可能性の方が
高いと思いますが…

でも、今回のレクイエムでも、
「聖地の名前」が歌詞にあったりしますが
「推しに対するファン」の気持ちで、と考えると
すんなり腑に落ちて歌える感じがいたします。

今日は、ホール練習でした。
ソリストさんやハープとオルガン奏者の方、
朗読の方が参加してくださり、ほぼ本番をイメージした
練習ができました。

練習なので客席は空っぽですが
本番ではここに、たくさんのお客様がいらしてくださいます。
これまでは、ソリストさんや楽器の演奏部分では
つい観客目線になりがちでしたが、
今日の練習では、自分もソリストさんや演奏者の方と同じ立場で
この舞台からお客様に歌を届けるんだ、という気持ちが
持てたかな?と思います。

最近は、1月とは思えないような暖かな日が続いています。
よく考えると(考えなくても)2月は目の前です。

全く別のことでお世話になっている方が、合唱経験者であったと知り
演奏会へお誘いしたところ、来てくださる、とのこと。
嬉しい…でもどうしよう…来てくれるって…
「フォーレのレクイエム、大好きです」と言ってくださって
これはまずいのでは…(*’ω’*)
いや、まずくはない!と言い切れるように、残り少ない日数ですが
大切に練習を重ねたいと思います♪♪