ごきげんよう、さようなら

私の職場は、来客もなく電話も少なく、そして、割と静かめな方が多いのか
時として「カチャカチャ」というキーボードの音のみが響く、
ということが珍しくありません。

「あれ?今、誰も話をしていない」
と、静かさを確認するような瞬間が、よくあります。

私もその中で、黙って業務を続けています。
しーんとしている中で、1日のうちの会話が数えるほどしかない、そんな日々ですが
特に苦ではなく、むしろ自分に向いているかも、と思っているくらいです。

金曜日の午後、ちょっとした動きがありました。
リーダーがメジャーを持って机と机の間隔を測り始め、そして
「コロナウイルス感染拡大防止のため
向かい合っての仕事は禁止、机の向きを変えます!」と
レイアウトの移動が始まりました。

それぞれの机の上にはパソコン本体とモニターが2台、
机を少し動かすだけでもたくさんのコードがついてきます。

これは誰のコード?

この電源は抜いていいの?

あれ?このコードどこにもつながってないよ?

あ!お金が落ちてる!(10円でした)(*’ω’*)

(誰かの机にあったぬいぐるみを発見して)
何このぬいぐるみ、どうしたんですか?かわいい~

ついでだから床掃除もしちゃお、すごいほこり・・・

わいわいがやがや。
隣のチームは、レイアウトは変えられず、透明のシートを張り巡らす作戦に出た模様。
うまくいくのかしら??見物見物・・・

そんな風にして金曜日の仕事は終わりました。
帰り道、何となく気分が前向きになっている自分に気が付きました。

本当は、落ち込んでいたんです。

4月22日、ラジオ番組「音楽の泉」の司会をされていた
皆川達夫さんの訃報を知りました。
ずっと、普通のクラシック番組だと思っていたのが
ある日、皆川さんが隠れキリシタンの歌っていた歌を探された経緯を知って
とても驚き
(年単位で、気の遠くなるような作業を重ねられたそうです)
敬意をもって、まさしく拝聴するようになりました。

あ、今日はこの曲で終わりかな、と思っていると
「まだ少々時間がございます」と続けてくれるときがあり
ちょっと得をしたような気分になりました。

皆川さんが調べていた世界を少しでも知ろう、と(合唱でもキリスト教の曲は切り離せないし)
遠藤周作の「沈黙」を図書館で借りる予約をしたところでした。

コロナウイルスの影響が続き、弱気になっている中、
頼りにしていたものをなくしてしまったような気分になったのだと思います。

そんな重たい気分を少し軽くしてくれたのは
この日の「わいわいがやがや」だったのでしょうか。

 いつだったか、シティコーラスの打ち上げで
男性団員の方に聞かれました。
「女性は、どうしてあんなにおしゃべりしているの?」

一瞬、何を聞かれたのかわからず
「え?男性はおしゃべりしないんですか?」と聞き返しました。
すると
「男声の練習のときは(そのときは男女別練習があった)
 みんな、来て、歌って、帰るだけだよ」とのこと。
つい「え??おしゃべり全然しないんですか?何が楽しいんですか?」
男性「え?」(歌だけど??)
私「え?」(歌だけ??)

合唱練習がなくなって、残念でしかたがないのは
「歌えない」ことと並んで
「皆さんに『会って』お話できない」ことも、大きな原因だったんだな・・・と改めて思いました。

皆川さんの「音楽の泉」での締めくくりの決まり文句は
「ごきげんよう、さようなら」です。
「さようなら」ばかりを聞いていましたが
「ごきげんよう」・・・気分よく過ごしていくためにも、私に歌があったのでしょうか。

ところで、借りてきた「沈黙」ですが、「大活字本」を予約していたようです。
初めて利用しましたが・・・
これ、読みやすかったです(*’ω’*)
小学校低学年の教科書くらいの字の大きさで、どんどん読めます!
少しの時間でページが進むので、速読している気分にもなれます(違